●今回は【ちわわん生活 VOL.2】さまの最新記事のご紹介です。
ソニぼんは普段スローなのに
この流れだけは早い→ 「P House」
何よりも大切だったぷくを見送り
ソニックを見送ったことで、
その経験をする前の自分にはもう戻れない
のだと感じている心の基盤みたいな部分の
変化がひとつあります。
私はどちらも最期の瞬間にその場にいて
目で見て、この手で触れて感じたことで、
肉体は魂の入れものみたいなものなのだな、
と頭ではなく、全身で理解しました。
体は目の前に在ってまだ温かいのに
さっきまでそこにいたぷくが、ソニックが、
今はもういない。
心臓が止まっているから、とか
そんな上っ面な物理的なことを越えて
「あ、いない」
とハッキリ感じた、あの瞬間。
到底言語化できそうにないのだけど、
経験した人には伝わると思います。
スッ……と肉体が空になった瞬間。
「存在」がどこかへ行った感覚。
もうここにぷくが入っていないとわかる感覚。
あれを経験した後で大きく変わったのが
「死にたい」とは思わないけれど
「いつ死んでもいい」という想いが
いつでも私のベースにあることです。
こういうことを書くと不謹慎だとか
病気と闘っている人の身にもなれとか
怒る人がいがちなので書かないでいたけど
これはもう私自身どうこうできるものではなく
根底にそれがずっしり居座っているのだから
どうしようもありません。
死にたいわけじゃないけど
死への恐怖も生きる事への執着もない。
だからこそまだ生きてる今日を
丁寧に過ごそうと思うようになりました。
誰から説かれることもなく、自然と。
昔は「この景色を見てみたい」と思っても
根っからの出不精で移動が大嫌いな私は
実際に見に行くことはしませんでした。
面倒くささが興味に勝ってた。
でも私の肉体はただの入れものなのだと理解
してからは、じゃあまだこの体が動いてる今、
実際に動かして見に行ってみようかとなった。
最近は苦手だった山へも出かけています。
今日ふと湧いた願いは、
頭が面倒くさがっても無視して
実現できるかどうかさっさと検討する。
無理なら無理で別にいい。
叶わなくたって、所詮入れ物の遊びだし。
そういうある意味「軽さ」が人生に加わりました。
加わったのか、重さを失ったのかわからないけど。
茶臼岳を登っている時、
わんこ連れで登山している方と
何度かすれ違いました。
結構急な岩場だけど、人間よりも
ずっと軽々と、楽しそうに歩いてた。
ソニックはこういう場所は苦手だから
きっと来ないけど、ぷくの魂は私に
ついてきてたりしないだろうか。
急な岩場を下っている間
そんな妄想をしていました。
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今回は【ちわわん生活 VOL.2】さまの記事「得たのか、失ったのか」をご紹介しました。
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